国語の重要性

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国語というのは母国語のことですが、ここでは国語という教科(日本語)ということです。
この国語が5教科の中では最も重要だと思うのです。

皆、国語で伝えてくる

当たり前ですが、日本では日本語で問題文や説明文が書かれています。
数学の問題でも社会の問題でも理科の問題でもそうです。
英語は違う可能性がありますが、問いや説明は日本語のことも多いと思います。

つまり、勉強する時や問題を解く時に、書いてあることや問われていることは日本語なので、その読解力がなければ話にならないということです。
書いていることや問いが正確に理解できないと勉強や回答はままならないですよね?
そういう意味で国語が5教科の中で一番基本になると思うのです。

読めない漢字があったら困りますし、文章の指示代名詞が何を指しているのか分からなければ困りますし、そもそも文章が何を書いているのか分からないと困ります。
それぞれ学校の国語で習うと思いますが、結局のところ読書をある程度しないと身に付かないと思います。
正に習うより慣れろですね。

苦手な人は例えばこういう本で日本語の構造を一度勉強してみるのも手です。

ただコツを一つ挙げるならば、文章の読解力や作文力に重要なのは国語の場合助詞だということは簡単にここで触れておきます。
助詞が正確に使えれば文章は非常に理解し易くなりますし、下手だと理解出来なかったり誤解したりします。
これは日本語の文法上、助詞が単語の役割を決めるからです。
助詞の使い方が下手だと極端な場合意味が逆転したりします。

それから国語を正確に扱えない人は恐らく頭の整理も不得意ではないでしょうか。
これは以前にも話しましたが、普通の人は国語で考え、国語で書き出して、国語で論理を積み重ねる筈だからです。
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国語で勉強できる有難さ

ところで、先に勉強をする時に国語が大事とさらっと言いましたが、実はこれは結構稀有なことなのです。
日本で数学や社会や理科の勉強で日本語で教科書が書かれているから、国語が大事と書いたわけですが、実は外国ではそんなことがなかったりします。
どういうことかというと、翻訳されていないことがあるのです。

日本でも最新の論文などは英語でないと読めなかったりしますが、海外では最新どころか基礎すらも翻訳されていないことがあるのです。
これは外国語で書かれたものを母国語に翻訳する時に存在しない概念や全く同じ意味の言葉がなかったりして単純には翻訳出来ないのが一因です。
つまり想像以上に物凄い労力なので対応しきれなくて、そのまま外国語の教科書で勉強することになる国があるということです。

日本では一つには明治時代に西洋文化を取り入れる時に、日本になかった多くの概念などの新語に対し、分かり易く新たな単語を大量に作り翻訳可能な土台を作りました
そして多くの先人方が多大な労力をかけて日本語であらゆる学問の教科書を作ってくれたのです。
日本人って凄いですよね、有難いことです。( ̄人 ̄)
因みに有名なのが福沢諭吉で、先ほどの「西洋」という単語も作りました。

そもそも外国語と日本語の単語の意味が1対1で対応している筈もなく……getとか凄いですよね。

それに引き換え、最近ではやたらと外来語をそのままカタカナにして輸入することが多くて、個人的にはどうかなぁと思っています。(発音とか意味も微妙に違うし)
微妙なニュアンスの違いなどもあるのでそのまま輸入した方が間違いは少ないとは思いますが、果たして概念としてちゃんと理解出来ているのかと不安になります。(外国語って全部そうですが)
特に対応する単語があるのにわざわざカタカナ語を使うのはなんとかならないのでしょうか。(その方がブレが少ないと思う)
「エビデンス」とか、「証拠」でいいと思うんですが。

過去の遺産を引き継ぐ

国語でもう一つ大きな分野というと古典ですよね。
古文と漢文に大きく分かれますが、これらも専門家に成るのでなければそこまで深入りする必要なないと思いますが、やはり長い歴史を持つ日本という国の過去の遺産に触れるために教養として必要ということでしょう。
実際、内容的には触りで終わっている感じですし。

触りですが、それでも古典をある程度読める様になるので古臭い言葉が何となく分かったりして趣深いものがあります。
言語の歴史を感じたり、昔の人の感性に触れたり出来るのは実は大切なことです。
極端な例では韓国は漢字を捨てて全てハングルとしたためそれ以前の歴史や文化的に断絶してしまいました。
まあ、それが狙いという話もあるのですが。

今の韓国が簡単に分かる良い本です。日本も気を付けなくてはなりません。

もう一つ個人的に勉強する効果として思うのは、母国語でありながら別の言語なのでもう一度文法的に国語を客観的に見れる機会となりうるということです。
母国語はどうしても感覚で使えてしまうのでなかなか客観的に扱うのが難しい面があります。
それに対して古典は文法は殆ど変わらないのですが、ただ、単語や感性が異なるので理解し難い外国語の様に感じます。
よって、無意識に身に付けた母国語を別単語でもう一度勉強し直し、比較することで客観的に扱えるのです。

まとめ

日本では国語で全ての教科が勉強出来る環境が整っています。
よって、国語力を伸ばすのが最も大切ではないでしょうか。
また、それが可能というのも実は結構稀有で恵まれたことで、先人の努力が偲ばれます。

古典の勉強も含めてまず国語を勉強することで、日本人として正確に論理を積み重ねられる力と自国の文学の教養を身に付けて日本人として一人前になることが大切だと思います。
グローバル化に対応するため英語教育に力を入れる話もありますが、先に国語の土台があってこそと私は思います。
そこを無視して実行すると結構ガタガタになると思っていて、心配です。
まずは立派な日本人になりましょう。

知識を磨いて豊かに生きましょう。
ではまた。( ̄▽ ̄)/

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