小学校では算数、中学以上では数学という科目がありますが、何でこんなことしないといけないんだと思ったことありませんか?
私は理系の人間ですが、数学が苦手であまり好きではありませんでした。(今でも苦手)
面倒臭いし、数学の価値に中々気付けなかったですが、この歳になってから振り返った感想です。
数字の威力
数字というのは物凄い力を持っています。
人間の感覚というのは結構良い加減で主観や環境によって歪められることも多いですし、当てにならない部分があります。
数字で表せばそういうことがなくなり正確に扱えるようになります。
これは人間の感覚を超える手段の一つだと思います。
無茶苦茶小さな変化や大き過ぎて感覚が分からないものだったとしても数値化して比べればどっちが大きいか小さいか一発で分かりますよね。
だから何でも数字に落とし込むことが出来れば比較検討して判断出来る様になります、これが大切。
この能力は人間が文明を持ってからは非常に大切で、現代でも社会人になれば色んな数字に追われることになります。
勿論、四則演算のレベルでほぼ99.9%足りると思いますが、数字から逃れることはまず無理でしょうし、これが苦手だと私みたいに結構なハンディキャップになり得ます。
日本では義務教育でカバーされているのであまりそういう感覚はないかもしれませんが、海外では引き算ができないのでコンビニで計算を間違えたら一から全部足し直すとかいう話も聞きます。
貨幣経済で生きていくためにはやはり四則演算は自由に出来ないと足枷になると思います。
暗算でなくても構いませんが、その計算が遅くても実際にできる、その計算の意味が分かっているというのは必須の基礎能力と言えるでしょう。
計算の意味が分かっていないと計算機やExcelも使えません。
その上で計算機にどの程度頼るかは皆さん次第です。
算盤は学校の授業程度でしかやっていないので、あれがどの程度役に立つのかの実感はありません。
能力開発に役立つとかいう話もありますが割愛します。(やっても良いと思う)
便利な道具と知識
理系に進んだり、専門家になるともう少し高度な数学が必要になります。
これは学問や研究をする際に必要な計算に高度な数学を要求されるからです。
例えば私の大嫌いな三角関数も回転する物体の運動や力、交流電気の様な周期性のあるものを扱う時にはないと話になりません。
道具として必要だから諦めましょうということですね、はい。
文系でも学問するには結構重要で逃げられないのが統計学でしょうか。
アンケート調査とか要するにデータ解析するときに頻繁に出てきます。
恐らくその分析手法はパターン化されているでしょうが、この計算の落とし穴となるのは前提条件が多数あること。
この辺りを理解するためにはやっぱり統計学を勉強する必要があります。
そして、統計学には分布や関数が出てきてこれを扱ったり理解するのに数学が必要なんですね。(合掌)
日常生活には要らないから勘弁してよ!という皆さん、気持ちは分かりますが道具とか知識としてやっぱりある程度常識として必要だと思います。
例えば因数分解とか何の役に立つんだと思うかもしれませんが、その概念は日常会話や本などの文章で出てきます。
因数分解が下手でも数字(物事)が因数(因子)の積(掛け算)で表せることを知らないとこの表現や概念が理解出来ないですよね。
計算スキル(技術)は拙くても良いですが知らない(知識がない)というのは不味いと思います。
勿論出来た方が良いですが、正直スキルは使わないと劣化しますのでやっぱり専門家でなければそこまで拘らなくても良いかなと。
まあ、一度磨いておけば結構簡単にある程度のレベルまで磨き直しで戻るので悪くはないですけど。
それに、この知識は人類の叡智の集積なんですよね。(素直にスッゲーと思って下さい)
より少ない情報で正確な結果を計算して導き出せるという事実。
実際の計算はコンピューターや他人にお任せしても仕事や生活としては構いませんが、一度は触れてそういうものがあるんだと知っておくことは大切だと思います。
一度経験しておけば必要だと思った時に思い出して勉強し直せます。
論理と感性を磨く美しい世界
数学というのは計算スキル的には四則演算で良いと思うのですが概念とか思考力とか発想とかそういったものが磨かれることが大切だと感じます。
数学というのは厳密な公理(前提条件)と論理の積み重ねなんですね。
これを扱うことでそういう思考力や感性といったものが鍛えられるのです。
論理的に考えることと感性で考えることはまるで逆に思うかもしれませんが、数学では両方磨くことが可能なんですね。
まあ、感性の方は数学の奥に行かないと感じられないかもしれませんが。
この辺りは個人的には「数学ガール」という本をお勧めします。
それから、これを魅力と感じる人はどれ程居るか分かりませんが、数学は厳密な公理と論理の積み重ねなので絶対にひっくり返らないんですよ。
歴史とか他の学問だと今と昔で話がひっくり返ることが往々にしてあります。
小さなことだと鎌倉幕府成立の年号とか私の時と違うし……。(いい箱作ろう鎌倉幕府って何)
- 国語や英語という言語は時代とともに変化しますし、日常会話なら生きている間に変化します。
- 社会はさっきの歴史みたいに研究結果や見解で変わりますし、地理や公民って時間で変わりますよね。(ザイールって知ってます?)
- 理科も物理・化学ともに研究結果で変わります。まあ、正確でなくてもニュートン力学とか古典的な部分を教えることは恐らく変わらないと思いますが……きっと、多分ね。
数学だけはその性質上絶対に変わらないんです。
公理と論理で証明するので証明がひっくり返るのは公理が変わる以外はあり得ないですよね。
五、六百年前に空が回っていると言っていたのは地球が回っていると修正されましたが、数千年前に証明された数学は今でも正しいです。
勿論、前提条件が変化したら答え変わりますけどね。
自然数なら5÷2=2あまり1ですが小数ありなら2.5ですもんね。
この辺り好きなら「体の公理」とか調べてみると良いかもです。
まとめ
数学は最低限四則演算ぐらいは理解して出来ないと生活に支障が出ます。
そして文系理系問わず数値化して比較判断するという強力な武器を使う上で必要なスキルです。
また、会話とか読書とか他から情報を得る時に基礎知識として無いと厳しい場面もあるでしょう。
大きくは論理的思考や感性を磨くという訓練、という側面が強いかもしれませんね。
それにその世界は何千年と積み重ねられた論理の結晶で、美しさに魅力を感じることも出来るかもしれませんよ?
一度は体の中を通してあげましょう。
知識を磨いて豊かに生きましょう。
ではまた。( ̄▽ ̄)/
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